「大阪維新の会」が2011年9月に大阪府議会へ提出した「大阪府教育基本条例(案)」に対する意見書です。 その後、この原案どおりには成立しませんでした。
こちらもご覧ください ⇒ 府・市で可決された条例
   


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大阪府教育基本条例(案)に反対する意見書
 ―― 教育への「不当な支配」を可能にする条例案の撤回を求める ――

           

2011年9月22日     (9月29日修正版)

弁護士  大  前   治

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―――――  目  次  ―――――

■ 「前文」について
 1 「教育に民意を反映する」という言葉のすりかえ
    *第1のすりかえ――― 教育条件整備などの「民意」には耳を傾けない
    *第2のすりかえ――― 民意を無視してきたのは、橋下知事や歴代府政である
    *第3のすりかえ――― 民意ではなく、「知事の意見」を徹底させるための条例
 2 教育内容への介入、教育の政治利用は許されない
 3 「政治は教育に責任を持つべき」――― その言葉を取り違えてはいけない
 4 地方教育行政法25条を歪めた解釈―――― 同法は、知事の権限を限定している
    *地方公共団体の長の職務権限(地方教育行政法24条、24条の2)
    *教育委員会の職務権限(地方教育行政法23条)

■「第1章 目的及び基本理念」について
 1 条例が掲げる「教育の基本理念」 (第2条)
 2 「自己責任」と「競争」に追いやることが「教育理念」か
    *「自由と権利」よりも「義務と規範」を重視
    *「競争」そして「自己責任」の世界へ追い立てる
    *愛国心、競争力、世界標準―――「国家のため、経済力のための教育」へ

■「第2章 各教育関係者の役割分担」および「第3章 教育に対する政治の関与」について
 1 府立高校の教育目標は知事が決める(6条2項)
    (1)知事が立てる「目標」は抽象的な宣言ではなく、法的拘束力をもつ
    (2)「目標」の決定方法、対象事項、変更時期などは全くの無制限、フリーハンド
    (3)具体的に、どのような事態が起きるか―――未曾有の混乱、直接の政治介入
 2 教育委員会の地位の低下、弱体化
    (1)教育委員会の政治的中立性・公平性の保障が骨抜きに(7条1項)
    (2)知事は教育委員を罷免できる(12条2項)―――明確な現行法違反、教育介入
 3 校長による、上意下達の学校運営(8条、9条)
 4 保護者にも義務を課す問題点(10条)
    (1)保護者が学校運営への「貢献」を義務づけられる―――意見を述べる権利はない
    (2)社会常識や生活習慣は保護者の責任――――家庭へのサポートこそ必要なのに
 5 「学校協議会」の問題点―――地元有力者による人事評価や教科書推薦

■「第4章 校長及び副校長の人事」について
 1 「校長」のあり方が変わる(14条)――― 教員経験のない者が多数を占めていく?
 2 教育者ではなく「マネージャー」でつとまるのか

■「第5章 教員の人事」について
 1 校長が、教員の「任用」に関与する(18条)
    (1)校長の意見が最優先され、教育委員会の権限は無力化・形骸化
    (2)「各学校ごとの教員採用」、「人気校への就職競争」?―― 大混乱は必至
 2 教員への人事評価(19条)―――教師への評価・処分を通じた徹底的な管理統制
    (1)校長による人事評価の問題点――― 教育委員会が行うとする現行法規定に抵触
    (2)校長による人事評価の基準――― 「学校運営への貢献」が判断基準
 3 割合を定めた相対評価の強制で、教師への監視統制を強める
   (1)校長による徹底した相対評価――― 数値的な結果を基準とした評価
   (2)相対評価によって教師間の競争が強められ、教師が分断・孤立する
   (3)2年連続で「下位5%」になると免職されることの不合理性
         ――― 際限なく各校で教師が免職されていく恐怖の循環
 4 給与・手当だけでなく任免にまで人事評価を直結させる
 5 「学校協議会」による人事評価(外部からの介入を招く)

■「第6章 懲戒・分限処分に関する運用」について
1 条例で懲戒および分限処分の基準を定めること自体の問題点
   (1)条例により形式的に処分事由を定めることは、教育委員会の人事権・内申権を侵害する
   (2)教育委員会の判断を完全に拘束してしまう条例規定
 2 懲戒処分の手続及び効果(21条以下)
   (1)そもそも懲戒処分には法律上の限界がある
   (2)「一覧表」に当てはめて処分することが公正とはいえない
   (3)4種の懲戒処分以外に、「訓告」や「厳重注意」の選択肢がない
   (4)「手続の透明性」を確保する制度規定はない
   (5)職務命令違反への処分が重罰かつ画一的すぎる
     ―――「君が代」起立斉唱の命令違反をターゲットにした重大処分
   (6)処分事由を列挙して教育現場に重圧を課すことが目的
   (7)争議行為、あおり行為に対して重い処分を課す
   (8)非違行為に加担しなかった教員に対しても重罰を課す
 2 分限処分の手続及び効果(27条以下)
   (1)懲戒処分と同様に、厳罰化と処分の広範化をもたらす
   (2)不合理な相対評価、恣意的な評価に基づく処分の可能性
   (3)現行の分限指針の「教職員室の対応」を削除
   (4)周囲の教員の援助・協力を求めることが分限処分の対象となる
   (5)「指導力不足教員」への分限処分の問題点
     ア 指導力不足教員との相談・援助ではなく「記録・資料収集」が義務付けられる
     イ 本条例案が定める分限手続の不当性(教育公務員特例法違反)
     ウ 分限免職をなしうる対象は法律により限定されている
       【※補足 現行法令等との関係】

■「第7章 学校制度の運用」について
1 公立高校の学区制廃止(43条)――― 学校の序列化と競争が激化
2 学校の統廃合(44条)――― 「2年連続定員割れ」で学校を廃止する

■「第8章 学校の運営」について
1 校長の権限を徹底強化(45条)――― 教師集団による自由な討議や創意工夫を排除
2 児童・生徒への懲戒(47条)――― 「有形力の行使」を認めて、体罰を事実上容認
   (1)有形力の行使を認める問題点
   (2)文科省通知や最高裁判例との比較

■「第9章 最高規範性」について (48条)



(本文)

大阪府教育基本条例(案)に反対する意見書
―― 教育への「不当な支配」を可能にする条例案の撤回を求める ――

■「前文」について
1 「教育に民意を反映する」という言葉のすりかえ――― 教育に反映されるべき「民意」とは?

 条例案には、長大な「前文」が付いており、異様な様相をみせています。
 「教育に民意が十分に反映されてこなかった」、「政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」と述べる前文。そこには次のように3つの「すり替え」があります。

*第1のすりかえ――― 教育条件整備などの「民意」には耳を傾けない
 教育条件や環境整備を求める保護者・住民の声は、反映されるべきです。
 少人数学級、学校給食、教室への冷房導入、校舎の耐震改修、私学助成の充実・・・。保護者からは切実な願いが寄せられています。こうした声に応えて教育環境をよくするためにも、住民の声に耳を傾け、政治が責任をもつ必要があります。
 ところが、教育基本条例案は、そういう民意を取り入れるとは一言も言っていません。教育施設の整備充実なども一切約束していません。この条例は、そういう民意を取り入れるのではなく、後で述べるとおり教員人事や教育内容を管理統制しようという内容です。住民の願いとは別の方向と言わざるを得ません。

*第2のすりかえ――― 民意を無視してきたのは、橋下知事や歴代府政である
 これまで、教育環境整備を求める声を無視してきたのは、ほかでもない橋下知事を含めた歴代知事とオール与党議員でした。橋下知事が就任後すぐに宣言したのは、「私学助成の削減」、「小学校の35人学級の廃止」でした。これに対しては、PTAなど教育関係者から大きな反対の声が起こりました。さらに橋下知事は、学校事務職員の大量解雇、校門前警備員の人件費補助廃止など、教育予算を削減して教育条件を悪化させてきたのです。
 そのことへの反省は、この条例には一切盛り込まれていません。自分たちが民意を無視してきたことを棚に上げて、まるで今までの教育現場(教育委員会や教員)のせいで教育状況が悪いかのように描いているのが、この教育基本条例案なのです。

*第3のすりかえ―――― 民意ではなく、「知事の意見」を徹底させるための条例
 本条例案は、「知事が教育目標を設定し、知事が教育委員を罷免するなど管理統制の権限を拡大する」という内容です。つまり、この条例がいう「民意の反映」とは、実際には「知事の意見を反映する」という内容です。
 しかし、選挙で選ばれた知事の考えすべてが、イコール「民意」という訳ではありません。
 それどころか、そもそも次に述べるとおり、政治家が教育内容に口出しをすることは禁止されています。

2 教育内容への介入、教育の政治利用は許されない
 教育には政治的中立性が求められ、政治は教育内容に介入できません。政治家による教育の政治利用は許されないのです。第二次大戦時に政府が「お国のために死ぬこと」を教えた痛苦の反省から、教育基本法16条は「教育は不当な支配に服することなく行われるべき」と定めています。この原則こそ、守られるべきです。
 これに対して本条例案の前文は、教育に政治が介入することを正当化するために、教育基本法が禁止しているのは「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」(同法14条)だけであり、それに該当しない限り政治は教育に関与できると述べています。これは重大な誤り(ごまかし)です。教育基本法14条だけではなく、前述のとおり同法16条が教育への「不当な支配」を幅広く禁止しています。「不当な支配」とは、多数派・少数派をとわず一定の政治家・政党・政治思想の影響下に教育がおかれることを意味します。ときの政権や知事が変わるたびに、その意向を受けて教育内容がコロコロ変わるようなことは許されないのです。
 この教育基本条例案は、政治家である知事が「教育の目標」を設定し(条例案6条2項)、それに従わない教育委員は知事により罷免されます(条例案12条2項)。これは、教育内容および教育制度に直接的に政治家が介入するものであり、明らかに教育基本法が禁止する「不当な支配」に該当します。

3 「政治は教育に責任を持つべき」――― その言葉を取り違えてはいけない
 これに対し、橋下知事は、「政治が教育に責任をもつ」という言葉を多用して、今回の条例案を正当化します。本条例案も、「政治が適切に教育行政における役割を果たさなければならない」と述べています。
 これは確かに、聞こえがいい言葉です。しかし、政治が責任をもつべきなのは、充実した予算配分や環境整備を通じて、子どもたちが十分な教育を受ける機会を保障することです。僅少な教育予算のもとで、人件費も削減されて人手不足の状態では、よりよい教育実践は不可能です。
 政治の役割は、「教育を受ける権利」(憲法26条)を保障することです。2006年に改正された教育基本法も、行政の役割として「義務教育の機会を保障し、その水準を確保する」(5条3項)、あるいは「教育に関する施策」を実施する(16条3項)と定めており、教育内容ではなく教育環境整備を第一次的役割としているのです。
 教育基本法16条3項に基づいて府が行うべき「教育に関する施策」とは、府立学校の設置管理、市町村立小中学校の教職員の任命、市町村の教育条件整備への支援(市町村立学校の教職員の給与負担など)、市町村の教育事業(教育・文化・スポーツ等に関する各種事業)に関する指導助言・援助の措置とされています。
(※注1)
 教育内容について、都道府県知事が決定や介入をできる根拠規定は存在しません。
 大切なのは、すべての子どもたちが基礎学力を身につけて、知識・教養とともに個性・自主性・協調性を育むことのできる教育環境を整えることです。決して、国際競争に勝ち残るための「人材」、競争相手を打ち負かすことのできる「人材」を育成するという教育内容を定めることが本来の役割ではありません。
             
※ 注1 「逐条解説 改正教育基本法」193頁=前文部科学審議官・田中壮一郎監修、第一法規刊。

4 地方教育行政法25条を歪めた解釈―――― 同法は、知事の権限を限定している
 本条例の前文は、地方教育行政法25条が「条例」に基づいて教育に関する事務を行うと定めていることから、議会が教育行政に関与できるのだと述べています。しかし、これは意図的に条文の一部を取り出して解釈を歪めたものです。およそ府議会での審議にも耐えないこじつけです。
 地方教育行政法25条は、条例によって知事の権限を自由に拡大したり教育への介入をしてよいという規定ではありません。同規定は、同法23〜24条が定めた知事と教育委員会の権限の範囲内について、条例に基づく事務執行を求めているのです。
 同法は、知事の権限を以下のように限定しています。

    *地方公共団体の長の職務権限(地方教育行政法24条、24条の2)
     ・大学に関すること。  ・私立学校に関すること。   ・教育財産の取得および処分。
     ・教育委員会の所掌事項に関する契約締結と予算執行。   ・スポーツ振興事業、文化事業。

 このように、知事の職務権限は限られています。この範囲でのみ、地方教育行政法25条は「条例」に基づいた事務執行を認めているのです。
 これに対して、教育委員会の権限については、同法23条が19項目を定めており、知事の権限よりも広範なものとなっています。その主なものは以下のとおりです。

    *教育委員会の職務権限(地方教育行政法23条)
     ・学校等の設置、管理、廃止、教育財産の管理に関すること。
     ・教職員の任免、人事に関すること。
     ・生徒児童の入学、転学、退学に関すること。
     ・学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導、職業指導に関すること。
     ・教科書その他の教材の取扱い、学校施設や教具など設備の整備に関すること。
     ・校長や教職員の研修に関すること。
     ・学校給食に関すること。
     ・保健、安全、福利厚生、環境衛生、青少年教育、女性教育、公民館事業、文化財保護、
      ユネスコ活動、教育法人、統計調査、広報、教育行政相談など

 このように、教員の任免や人事については教育委員会の職務権限とされており、議会や知事が教育委員会の権限を制約・侵害することは違法となります。
 地方教育行政法25条は、あくまで「法律が定めた職務権限」の範囲内において、知事や教育委員会が条例に従って職務を遂行するよう求める規定なのです。決して、「条例によって知事が教育に介入できる。教育制度を自由に決められる。」という規定ではありません。


■「第1章 目的及び基本理念」について
1 条例が掲げる「教育の基本理念」

 条例案は、以下の教育理念を掲げています。
 (1) 個人の自由とともに規範意識を重んじる人材育成
 (2) 個人の権利とともに義務を重んじる人材育成
 (3) 他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の責任で道を切り拓く人材育成
 (4) 不正を許さず、弱者を助ける勇気と思いやりを持ち、自らが受けた恩恵を社会に還元できる人材育成
 (5) 我が国及び郷土の伝統文化を深く理解し、愛国心及び郷土愛に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に
  寄与する人材育成
 (6) グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視し、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い
  人材の育成

2 「自己責任」と「競争」に追いやることが「教育理念」か
*「自由と権利」よりも「義務と規範」を重視
 この条例案の「教育理念」には、きわめて特異な教育感が示されています。
 上記(1)・(2)は、「自由と権利」よりも「義務と規範」を重んじる規定といってよいでしょう。
 人間らしく生きていくために保障されている権利を行使することよりも、義務を遵守して服従することが重んじられています。
 本来、学校を卒業した青年が社会でまず必要とするのは権利です。労働者の権利が侵害された劣悪な労働実態に直面したとき、泣き寝入りや服従ではなく、権利を行使して身を守る、あるいは自由を勝ち取ることこそ必要です。権利を学ぶことは、自分だけでなく他者の権利をも擁護して連帯しあうことにつながります。そのことが否定されるような「教育の理念」であってはなりません。
*「競争」そして「自己責任」の世界へ追い立てる
 前記(3)は、「他人への依存や責任転嫁」を戒め、「競争と自己責任」の道を進むよう求めています。あまりにも露骨な自己責任論です。「負けたら最後の競争」、「他者を追い落として上昇する」、それが教育理念といえるのでしょうか。
 前記(4)は、「受けた恩恵を社会に還元できる人材育成」を掲げます。競争社会・自己責任を当然視する立場から、“各自が自己負担すべきなのに恩恵として施しを受けたのだから、後で還元するのが当然だ”という考え方が表れています。しかし、教育や福祉行政を受けることは権利として保障されているのであり、決して「恩恵」ではないはずです。
*愛国心、競争力、世界標準―――「国家のため、経済力のための教育」へ
 前記(5)は、「愛国心」という言葉を掲げています。2006年改正後の教育基本法が使う「我が国と郷土を愛する」という言葉と比べても、極めて直接的な「愛国心教育」の宣言です。しかし、そもそも愛国心は教育や強制になじみません。国の現状や歴史を真摯に学ぶ機会が保障され、国への服従ではなく主権者としての自由な意見表明や政治参画の力を育むことが保障されなければなりません。愛国心教育は、そうした本来の教育のあり方とは無縁です。
 さらに(6)は、「世界標準で競争力の高い人材」の育成を定めています。強調性や連帯をはぐくむのではなく、「勝ち残り競争」に児童生徒を追いやる教育観が示されています。


■「第2章 各教育関係者の役割分担」および「第3章 教育に対する政治の関与」について
1 府立高校の「教育目標」は知事が決める(6条2項)
(1)知事が立てる「目標」は抽象的な宣言ではなく、法的拘束力をもつ

 条例案は、知事が「高等学校教育において府立高校が実現すべき目標」を設定する(6条2項)と定めています。そして、知事が定めた教育目標は、法的効力のある「規則」となります(12条1項)。この目標達成への努力が足りない教育委員は罷免されます(12条2項)。
 つまり、知事の立てた目標は、単なる「抽象的な目標」とか「宣言」ではないのです。

(2)「目標」の決定方法、対象事項、変更時期などは全くの無制限、フリーハンド
 知事が教育目標を定める際には、保護者・教育関係者や諮問機関などから意見を聴取する手続は一切定められていません。また、知事が定めた教育目標に対して、何らチェック機関や異議申立制度はありません。
 教育の専門家ではなく政治家である知事が、内容的にも手続的にも、まったくのフリーハンドかつ独断により決定できるのです。教育の政治利用も思いのままです。

(3)具体的に、どのような事態が起きるか―――未曾有の混乱、直接の政治介入
 この条例が成立した場合には、とてつもない混乱が予想されます。
 知事が変わるたびに、あるいは知事の気が変わるたびに、「教育の目標」がコロコロ変わる可能性もあります(教育目標の設定時期や変更の回数制限はありません。)。そのたびに、教育委員会や教職員は振り回されます。
 「歴史教科書は○○社のものを採択する」とか、「国のために命を捨てた英霊に感謝を捧げる教育」という目標が掲げる可能性もあります。また、「全国学力テストで上位○位以内に入ること」などという目標を学校現場に押し付けることも可能になります。数十項目にわたる膨大な「目標」を定めることも可能です。「目標」の定め方や対象範囲については限定が一切ないからです。
 知事選挙のたびごとに、候補者が「教育の目標」を掲げて、当選すれば「この教育目標が支持された」として教育行政に激変をもたらすことも可能になります。選挙時における政治的対立の結果が、教育現場にそのまま持ち込まれることになります。
 ときの政治家が教育の「目標」を定めるというのは、教育内容に対する明白な政治介入であり、教育基本法16条(不当な支配の禁止)に違反します。

2 教育委員会の地位の低下、弱体化――― 教育委員ではなく政治家が絶大な権限を振るう
(1)教育委員会の政治的中立性・公平性の保障が骨抜きに(7条1項)
 本条例案(7条1項)は、教育委員会は、「知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する」と定めています。政治家である知事が、教育委員会に対して独断専行で「教育目標」を決定するのです。教育委員会は、「知事の決めた目標を達成するための機関」になり、完全に政治の影響下におかれてしまい、政治的中立性は全く保障されません。
 これは、現行法とは全く相いれない制度です。
 第一に、教育への「不当な支配」を禁ずる教育基本法16条に反しています。
 第二に、教育委員会の政治的中立性・公平性を図ろうとする地方教育行政法に反しています。同法は、教育委員の任命については、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する」と定めています(地方教育行政法4条1項)。そして、個人の独断専行を防ぐために都道府県の教育委員の人数は5名以上(大阪府は現行6名)とされ、委員の半数以上が同一政党に所属しないこと、年齢・性別・職業等に著しい偏りが生じないことが必要とされています(同法4条3・4項)。
 こうした法の趣旨を根底から覆すのが、教育基本条例案です。
 知事は、教育委員とは異なり、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有する」という条件は不要ですが、だからこそ教育委員会に対して乱暴な介入をせず自制してほしいところです。

(2)知事は教育委員を罷免できる(12条2項)――――明確な現行法違反、教育介入
 本条例案では、教育委員が、知事の設定した教育目標(これが「規則」となることは前述のとおり)を実現する義務を果たさない場合や、教職員の処分を怠った場合には、その教育委員を罷免できると定めています(12条2項)。
 これは、完全に政治家である知事が、独断によって教育委員に政治的圧力をかけることを可能にする規定です。これでは、教育委員は子どもや学校現場に目を向けるのではなく、知事の顔色ばかりをうかがって仕事をするようになります。
 そもそも現行法においては、知事が教育委員を罷免できる場合は限られています。すなわち、地方教育行政法7条1項は、@委員が心身の故障のため職務の遂行に堪えない、A職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合、に限られています。ここでいう「義務違反」や「非行」とは客観的な行為事実であり、罷免に相当する程度の重大な場合をいうとされています。ところが本条例案の規定によれば、そうした重大事案に限らず、知事が「この教育委員は、私が定めた教育目標に従っていない」と一方的に決めつけただけで罷免できることになり、同法に明確に違反しています。
 教育委員は、前述のとおり政治的中立性・公平性を確保するために構成や任用条件が定められるとともに、心身の故障あるいは客観的な職務違反や非行がない限り政治家によって罷免されない身分保障があります。政治家から独立して中立公平な教育行政が実現するために、教育委員の身分保障は極めて重要なのです。

3 校長による、上意下達の学校運営 (8条、9条)
 校長は、知事が定めた教育目標に基づいて教育委員会が提示した指針をもとに、「学校の具体的・定量的な目標を設定したうえ、当該目標の実現に向けて、幅広い裁量を持って学校運営を行う」としています(8条1項)。
 具体的には、校長は、予算要求、自己評価、採択すべき教科書の推薦、学校協議会の設置および構成員の選任、教員の任用への意向提出、教員の人事評価、教員の処分への意見提出などの権限を有します。他方、教員は、「組織の一員という自覚をもち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営指針にも服さなければならない」(9条1項)と定められています。後で見るように、校長の意向に反した教員や教育委員に対しては、徹底して不利益な手続や処分を課しています。
 こうして校長の権限は絶対化され、学校は上意下達の体制になります。
 本来、教育とは人間的ふれあいのなかで教え育てる営みです。教員が自主性・個性を発揮し、校長・教頭を含む教師集団が協力しながら教育実践に向き合うことが不可欠です。それゆえに校長や教頭には単なる管理職ではない同僚的性格を兼ね備えることになります。そして、教育の場に強制や監視統制はなじみません。
 悩みを打ち明けられずに抱え込み、過重負担やストレスで精神疾患になる教員が増えています。条例案はこれに追い打ちをかけるように、他の教員の支援を要する状況を「勤務実績不良」と位置付けて指導や警告の対象とします。これでは、教員はますます相談できず孤立していきます。

4 保護者にも義務を課す問題点 (10条)
(1)保護者が学校運営への「貢献」を義務づけられる―――意見を述べる権利はない
 条例案は、「保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない」と義務付けています(10条1項)。
 絶対的権限をもつ校長による学校運営への「参画」と「貢献」、すなわち校長の目標達成への協力が求めているのです。保護者集団が連帯して自主的に行動することは求められていません。
 保護者や要望を述べる権利については全く保障されていません。あるのは発言の権利ではなく協力の義務です。
 しかも、「不当な態様で要求をしてはならない」(10条2項)と定められているので、正当な意見を言いたくても委縮してしまいます。

(2)社会常識や生活習慣は保護者の責任――――問題を抱える家庭へのサポートこそ必要なのに
 さらに条例案は、「保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童・生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。」と定めています(10条3項)。
 たしかに家庭教育は必要ですが、その義務づけは不当な結果をもたらします。
 それぞれの家庭が課題や問題点を抱えており、親の職業や経済事情などにより家庭内教育が十分に行えない場合もあります。ところが本条例案は、そうした事情をすべて捨象して、「基本的生活習慣を身につけさせていない親は義務違反だ」、「生活習慣を身につけさせるのは家庭の役割だから、学校はそれをフォローしない」という切り捨てを招きかねません。
 むしろ、そうした課題を抱えた子どもと家庭に向き合い、親とも協力しながら一歩一歩解決していくことこそ必要です。「それは家庭の役割だから学校は責任をもたない」とするのは、教育の責任放棄です。

5 「学校協議会」の問題点(11条)―――地元有力者による人事評価や教科書推薦
 条例案は、校長が保護者や地域住民からなる「学校協議会」を設置し、教員の評価や教科書の推薦を協議すると定めています。
 この協議会の選出基準は定められていません。恣意的に選ばれた地元有力者の影響下で、教科書推薦や人事評価がなされる危険を排除できません。過去の戦争を美化する歴史教科書の採択が問題となっていますが、各校の協議会が教科書採択をめぐる政治的対立の場になるおそれもあります。
 同種のものとして、地方教育行政法47条の5が定める「学校運営協議会」がありますが、これは、@教育委員会が設置するものであり、A必ずしも設置しなくてよい任意機関とされており、B同協議会の運営が適性を欠くようになれば教育委員会は同協議会を廃止(設置指定の取消)しなければなりません。ところが本条例案の「学校協議会」は、教育委員会ではなく校長が設置するものと定めており、しかも必ず全校に設置することと定めています。これは地方教育行政法が想定する制度とは全く異なっています。同協議会が外部からの不当な介入や校長との癒着をもたらさないよう「学校運営協議会」を制度設計した地方教育行政法の趣旨に抵触しています。


■「第4章 校長及び副校長の人事」について
1 「校長」のあり方が変わる(14条)――― 教員経験のない者が多数を占めていく?

 本条例案は、校長の任用についても大幅に現行制度を変更しようとしています。
 とりわけ重大であるのは、「年齢、職歴、教員としての在職期間等を問わず、マネジメント能力(組織を通じて運営方針を有効に実施させる能力)の高さを基準として、教員を含む意欲ある多様な人材を積極的に登用しなければならない。」と定めている点です(14条2項)。
 これは、教師・教頭経験者の中から校長登用試験によって選考するという現行制度を大きく変更するものです。
2 教育者ではなく「マネージャー」でつとまるのか
 しかし、教室や運動場などで一人一人の子どもと向き合う教育現場の経験がない人物を、ただ「マネージメント能力」があるだけで次々に任用しても、個々の学校で日々生起する問題への対処が可能とは思われません。むしろ、校長や教師が一緒になって、互いに協力と援助をしあうことにより教育課題に立ち向かうことこそ必要であり、そのためには校長にも教育者としての資質や素養、ある程度の経験が必要です。校長は、物を売る店長ではなく、一人一人の子どもや教師と向き合うことが必要な教育職です。ただ管理統制能力があるだけで、教育の特殊性に対応できません。
 また、任期制で教育経験もない校長が、保護者や地域住民から信頼と親しみをもってもらえるのか、この点には保護者にも不安が広がっています。

■「第5章 教員の人事」について
1 校長が、教員の「任用」に関与する(18条)

(1)校長の意見が最優先され、教育委員会の権限は無力化・形骸化
 本条例案は、教育委員会から権限を奪い、知事および校長の権限を拡大している点で一貫しています。教員の任用については、次のように定めています。
 「教員の任用にあたっては、府教育委員会は校長の意向を尊重しなければならない」(18条1項)、「府教育委員会は、校長の意向に反する人事を行った場合、その旨及び具体的理由を議会に対して報告しなければならない」(18条3項)。
 これでは、一次的な選考を校長が行い、教育委員会はそれに従って人事を行うと定めているのと同じことになります。校長の意向と異なる人事を行った場合に、個人情報を含む具体的理由を府議会に報告しなければならないというのは府教委にとって重圧です。府議会が、その人事に問題があると判断した場合は、ただちに府議会が教育委員会に対して報告を求めたり(13条1項)、知事から是正を求められたり(13条2項)、より強く問題視されれば罷免されるかも知れないからです(12条2項)。このような重荷を背負うくらいなら、府議会へ報告しなくて済むように校長の意向に沿った人事を行うほうがよい、ということになります。
 こうして、教育の専門家からなる教育委員会の意向は退けられ、民間から登用されたマネージャーである校長が絶大な人事権を振るうことになるのです。

(2)「各学校ごとの教員採用」、「人気校への就職競争」?―――― 大混乱は必至
 本条例案によれば、各学校ごとにバラバラに、採用試験合格者の中から校長が気にいった教員を選択できることになります。教員が人気校・有力校の校長に気に入られて採用されるような就職活動が行われることになります。情実による選考が横行する可能性もあります。教員採用手続に激烈な競争が持ち込まれて大混乱が生じるのは必至です。
 そもそも校長が教員任用に関与することは、地方教育行政法と教育公務員特例法に抵触します。
 地方教育行政法34条は、教員の任命について「教育長の推薦により、教育委員会が任命する」と定めています。そして、教育公務員特例法11条は、教員の採用は選考によるものとし、その選考は教員の任命権者である教育委員会の教育長が行うと定めています。教員免許を有する者が採用試験を受験し、それに合格した者が採用されるという手続であり、これにより客観的かつ統一的な基準を満たした者が教員として任用されることになります。個々の学校長が任用について関与することは予定されていないのです。

2 教員への人事評価(19条)―――教師への評価・処分を通じた徹底的な管理統制
(1)校長による人事評価の問題点――― 教育委員会が行うとする現行法規定に抵触

 本条例案は、校長が人事評価を行うことを明記し(19条1項)、校長の評価を尊重して行われる府教委の人事評価が給与・期末手当だけでなく任免にまで反映されなければならない(19条3〜5項)と定めています。しかし、これは既存の法律による勤務評定制度の枠組みを逸脱しており、違法性・不当性の度合いが高いものです。
 地方教育行政法46条は、教員の勤務評定は教育委員会が行うものと定めています。この勤務評定制度には強い批判があるものの、それでも一次的評価権者を校長とするのではなく、制度上は政治的中立が確保された構成による教育委員会が判断をするものとされています(たとえば教育委員のうち2分の1以上が同一政党に所属していないことなどの要件がある。地方教育行政法4条。)。また、各学校ごとに評価者が異なることにより、評価基準や評価内容の不統一が生じるおそれがあるために、各学校ごとに校長が勤務評定をするのではなく、教育委員会が行うこととされているのです。
 ところが本条例案は、教育委員会ではなく校長が勤務評価をすることと定めています。
 前にも述べたとおり、各学校に設置される「学校協議会」が教員の人事評価にも意見を提出することになっています。偏った構成の同協議会による恣意的・不公正な評価がなされる可能性と相まって、教員の評価制度は大きく歪められてしまいます。

(2)校長による人事評価の基準――― 「学校運営への貢献」が判断基準
 教員の人事評価は、憲法や教育基本法が定める教育理念に基づくのではなく、「授業・生活指導・学校運営等への貢献」を基準に行うものと規定されています(19条1項)。
 ここでいう「学校運営等への貢献」として、校長が定めた「具体的・定量的な目標」(8条1項)や「具体的計画」(8条2項)の達成への努力が大きな判断基準となることは明らかです。なぜなら、校長による学校運営は、校長が定めた「具体的・定量的な目標」の実現へ向けて行われると規定され(8条1項)、学校運営の内容として教育委員会に示すのが「具体的計画」(8条2項)だからです。
 要するに、教員の評価は、大学合格者数や学力テストのクラス別順位などといった「具体的・定量的な目標」に基づいて決定されていきます。一人一人の児童生徒の悩みに心を寄せる余裕がなくなり、人事評価を高めるために教員がテスト競争に追い立てられます。
 校長は、自分が定めた目標の達成状況を基準として、自ら教員を人事評価することになります。主観的・恣意的な人事評価を行うことが可能となります。教員が校長に対して意見や疑問を述べたり、自主目標や自主的活動を委縮させ抑えつける効果を生じてしまいます。

2 割合を定めた相対評価の強制で、教師への監視統制を強める
(1)校長による徹底した相対評価――― 数値的な結果を基準とした評価

 本条例案は、校長は次の5段階で人事評価を行うと定めています(19条)。
   S=5%
   A=20%
   B=60%
   C=10%
   D=5%
 このうち、2年連続で最下位5%のD評価を受けた者は、注意指導や研修を受けても改善されない場合には「免職または降任」の分限処分が課されることになります(別表3の第1項、28条4項)。
 校長は徹底した相対的評価を行い、必ず上位5%と下位5%を定めなければなりません。これは、評価する校長にとっても酷であり困難です。なぜなら、校長は全教師の全授業や学級運営を詳細に把握している訳ではなく、授業や生活指導についての詳細に評価することができないからです。ある教員に上位5%や下位5%という評価をした場合に、その具体的理由(他の教員への評価よりも高い又は低いことの具体的かつ合理的な理由)を明確に挙げることは不可能に近いと言わざるを得ません。
 それでも本条例は、「授業・生活指導・学校運営等への貢献」を基準として5段階の人事評価をせよと定めています。校長としては、担当クラスごとの学力テストの成績や、遅刻・欠席者の数などを基準として評価せざるを得ません。
 このことは、次に述べるように、一人一人の児童生徒に向き合うことよりも、全体としてテスト成績や出席率を向上させる競争に教師を追い立てる結果をもたらします。

(2)相対評価によって教師間の競争が強められ、教師が分断・孤立する
 教師からみれば、徹底した相対評価が実施されることにより、「他の教師との競争」を強いられることになります。しかも、「競争に負けたら免職」という恐怖に追い立てられた必死の競争です。自分が低い評価を受けて免職されないためには、他のクラスよりも学力テストの点数を上げなければならず、遅刻・欠席者を減らす必要もあります。
 一人一人の生徒と向き合って基礎学力をつける補習をしたり、保護者と連携して生活習慣を改善していくことにより遅刻・欠席を減らしていったり、不登校の生徒の悩みに時間をかけて耳を傾けることができる猶予はなくなります。そうした過程よりも、ただ目先の数値的な結果を追い求めるしかない状況になります。
 生徒指導上の課題や悩みを抱えていても、他の教師に相談をできなくなります。他の教師も自分への評価が下がることを怖れて必死だからです。教師が連帯して教育実践にあたるのではなく、互いに競争相手として追い落としあう職場環境になってしまいます。
 さらには、他の教師が悩みを解決できないまま低い評価を受けてくれれば、自分が下位5%になる可能性が下がるのです。悩みや課題を抱えた教師を横目に見ながら、それを放置していることが自己保身につながる、という悪しき風潮が生じるおそれがあります。
 後で分限処分の項で述べるように、周囲の援助を要する教員は「指導力不足」とされます。このことも、教師が相談や援助を求められず、ますます孤立して抱え込んでしまう要因となってしまいます。

(3)2年連続で「下位5%」になると免職されることの不合理性
                  ――― 際限なく各校で教師が免職されていく恐怖の循環

 校長による人事評価は、つねに5段階であり「下位5%」の者を選び出さなければなりません。いかにその学校の教師集団の教育実践が豊かになされていようとも、いかに児童生徒が健全に育まれる良好な教育環境が実現していても、必ず相対評価によって「下位5%」の教師を指名するものと定めているのです。
 全ての学校において、2年連続でその学校の「下位5%」の評価を受けた者は、免職される可能性を想定した分限手続にのることになります。本来なら免職に値しないような軽微な問題点を理由に、相対評価によって下位5%とされてしまった者も、それだけを理由に免職される可能性があります。
 その教員が免職された次の年度からは、新たな「下位5%」に該当しないよう、また教師同士の競争が始まります。次々に、その学校で「2年連続下位5%」とされた教員が免職されていくことが繰り返されます。まさに教育現場を「負けたら地獄」の競争状態に陥らせるのです。このような教育現場において、子ども一人一人と向き合って人間らしく触れ合いながら発達と成長を促そうとする教育実践は極めて困難となります。

3 給与・手当だけでなく任免にまで人事評価を直結させる
 本条例案は、校長の人事評価を尊重して実施される府教育委員会の人事評価が、について、「直近の給与及び任免に反映しなければならない」、「直近の期末手当及び勤勉手当に反映できる制度を設けなければならない」と定めています。
 人事評価の効果として、前述のように2年連続で下位5%の評価を受けると免職となる可能性が高いほか、給与や手当さらには任免にまで反映することを明示的に述べているのです。これは、教師を徹底的に統制して人事評価権者である校長に服従させるものです。
 さらに問題であるのは、「任免」に反映させるという文言です。任免とは、任用および免職を含む用語です。校長の人事評価が、教師の地位を失わせることに直結する絶大な効果を有することを明記しているのです。
 校長は教員に対して、「従わない者は、免職を含めた徹底的な不利益扱いをする」という意思を明示的に振りかざして強権発動することができるようになります。

4 「学校協議会」による人事評価(外部からの介入を招く)
 本条例案は、前述のように保護者や教育関係者からなる「学校協議会」を校長が設置し、教員の人事評価について意見を提出すると定めています。校長は、人事評価にあたっては「学校協議会による教員評価の結果も参照しなければならない」と定められています。
 これは、前述の教科書推薦と同様に、恣意的に選ばれた地元有力者の影響下で、教育現場の実情や個々の教師の努力状況を知らないメンバーによる不公正な評価がなされる危険性をはらむ制度です。まさに直接的に、各学校現場に外部からの介入が予定されているのです。
 (なお、地方教育行政法47条の5は、学校運営協議会を設置するのは教育委員会の権限としています。これに対し、本条例案では学校協議会は校長が設置するものとしており、その運営は校長のフリーハンドに委ねています。この点は、非常に問題です。)


■「第6章 懲戒・分限処分に関する運用」について
1 条例で懲戒および分限処分の基準を定めること自体の問題点
(1)条例により形式的に処分事由を定めることは、教育委員会の人事権・内申権を侵害する
 本条例案は、末尾に73項目の懲戒事由(別表1)と6項目の分限事由(別表2)を列挙し、さらに分限処分の可能性がある事例として22項目(別表3〜6)を列挙しています。このように、条例により形式的に処分基準を画定してしまい、教育委員会の判断権を拘束することは、府教育委員会の人事権(地域教育行政法23条3号)を侵害するとともに、市町村(政令市以外)の教育委員会がもつ懲戒に関する内申権(同法38条)をも侵害します。

(2)教育委員会の判断を完全に拘束してしまう条例規定
 条例案をみると、一見すれば必ずしも教育委員会は判断権を制約されていないかのような文言もあります。
 たとえば、条例案22条1項は、処分する際の考慮事由を列挙した上で、「総合的に考慮して行う」と定めていますし、「別表1」の73項目の懲戒事由についても、あくまで「標準的な処分」(24条)にすぎず、教育委員会はこれに拘束されないと考える余地があるようにもみえます(なお、分限事由については、「別表2」どおりの処分をしなければならない(28条1項)と拘束していますから、職務権限侵害は明白です。)。
 しかし、次のように実質的にみて教育委員会の人事権・内申権を侵害していることは明らかです。
 すなわち条例案は、処分にあたっては職員基本条例が定める「大阪府人事監察委員会」の審査に付して、教育委員会はその審査結果を尊重しなければならないと定めています(懲戒処分については22条2項、分限処分については30条(14)号、31条(5)号など。)。このこと自体が、教育委員会の判断権を侵害・制約しています。さらに、それだけではありません。もし教育委員会が自主的な調査と判断をふまえて、「懲戒・分限処分の必要がない」と決定した場合でも、知事が「教育委員会は処分を怠っている」と判断すれば教育委員の罷免が可能となるのです(12条2項)。さらに、府議会が「教育委員会は処分を怠っている」と判断すれば、府議会は教育委員会に対して報告を求めることができ(13条1項)、「教育委員会は処分を怠っている」という議決をすることができ、その場合に知事は教育委員会に対して「是正を図るよう要請する」ものとされています(13条2項)。
 これら規定を総合すれば、およそ教育委員会は、別表1・2で定めたとおりの処分を決定することしかできなくなります。これは、明らかに教育委員会の人事権・内申権を侵害しています。

2 懲戒処分の手続及び効果 (21条以下)
(1)そもそも懲戒処分には法律上の限界がある

 地方公務員法29条1項は、公務員に対して懲戒処分をする場合の条件を定めています。すなわち、地方公務員法違反、職務上の義務違反、職務を怠った場合、非行のある場合には、戒告から免職まで4種類の懲戒処分をすることができます。このうち地方公務員法違反には、幅広い法律違反・条例違反・職務命令違反(これらは地方公務員法32条違反となる。)が含まれます。
 しかし、決して職務違反などがあれば府知事や教育委員会は自由に懲戒処分をできる訳ではありません。定められた条例のとおりに処分をすれば必ず適法となるというものではないのです。
 すなわち、懲戒処分は、懲戒事由に該当すると認められる行為の性質、態様等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員および社会に与える影響等、広範な事情を総合してなされなければなりません(最高裁・昭和52年12月20日判決=四国財務局事件)。また、懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し濫用した場合には、その懲戒処分は違法となります(昭和52年12月20日判決=神戸税関事件)。非違行為の重大性と処分の重さとは見合ったものでなければならない(比例原則)のであり、不当に重すぎたり軽すぎたりすることは裁量を逸脱した比例原則違反の違法処分とされます。
 したがって、個々の公務員による具体的な非違行為の事実関係(背景事情、動機、事後の反省や是正の状況)を十分に考慮せずに、条例が決めたとおりに「この場合は免職」、「この場合は減給」などと形式的に当てはめることは、具体的事案に即してみれば違法・不相当となる場合があります。
 この点については、次の(2)でも関連して述べます。

(2)「一覧表」に当てはめて処分することが公正とはいえない
 本条例は、「標準的な懲戒処分」として72項目の事例に対する処分内容を定めています。たとえば、10日以内の欠勤は「減給又は戒告」、賭博をした者は「減給又は戒告」といった具合です。なお、懲戒の種類は地方公務員法29条1項が定める戒告、減給、停職、免職の4種です。これら列記事項に該当しない非違行為については、「別表第1にない非違行為については、別表第1と比較のうえ、処分するものとする。」と定めています。
 こうした定めを設ける目的について、本条例案は、「手続の透明化と公正を目的として処分基準を定める」と述べています。しかし、形式的・画一的な一覧表を定めることが手続の透明化や公正をもたらすことにはなりません。その理由は次のとおりです。
 第一に、そもそも非違行為が本当に存在するか否か(えん罪ではないか)、故意か過失か、といった事実関係は、画一的基準により容易に決定できる訳ではありません。むしろ、一覧表に当てはめる前に、どのような非違行為がなされたかが認定されなければなりません。「そもそも非違行為が存在するか否か」などの事実関係が争われることも少なくないのであり、そのことは処分の一覧表が作られたからといって解決できるものではないのです。
 第二に、前述のとおり個々の処分を決定する場合には、非違行為を起こした原因や、その後の反省や是正の努力などを総合的に考慮しなければ、真に適正な処分はできません。同じ非違行為を行った場合でも、その後に反省・是正の措置をとった者とそうでない者とが同じ画一的処分しか受けないというのは、かえって不公平・不適切です。
 第三に、一覧表は万能ではありません。一例として本条例案の一覧表は、セクハラ行為をした教員については「停職、減給又は戒告」という3種類の処分から選ぶこととされています。この3種類のうちどれに決定するかは、人事監察委員会による判断を尊重して教育委員会が決定します。府民からみて「3種類の中から、なぜその処分が選択されたか」という点が透明化される制度的保障はありません。結局は、「処分の一覧表を作ることによって手続は透明化される」とはいえないのです。

(3)4種の懲戒処分以外に、「訓告」や「厳重注意」の選択肢がない
 本条例は、72項目もの処分事由と、それに対応する懲戒処分を定めています。定められている懲戒処分は「戒告」、「減給」、「停職」、「免職」の4種類であり、これは地方公務員法29条が定める処分の種類です。これらの処分を受けると、当該職員の履歴に処分の事実が残り、昇給の延伸、退職手当の不支給、年金の支給制限などの不利益措置が伴うことになります。
 大阪府を含む多くの自治体においては、こうした懲戒処分よりも軽い処分が相当とされる事例においては、「訓告」や「厳重注意」などの処分も行われています。これは法律上の懲戒処分とは異なるものであり、昇給延伸などの不利益には直結しません。非違行為または非行の重大性に見合った適切な処分を選択しうるためには、こうした軽い対応という選択肢も用意されていることが必要です。
 ところが本条例は、列挙された行為に該当する場合は、すべて戒告、減給、停職、免職のいずれかの処分を当てはめることとしており、訓告や厳重注意という軽い処分を選択肢から除外しているのです。これでは、事案の程度に応じた適切な対応ができなくなり、これまで以上に厳罰化がすすめられてしまいます。
(なお、これまで卒業式等での君が代斉唱時に起立しなかった教員への処分としては厳重注意や訓告がなされてきましたが、橋下知事の就任後、2010年3月に初めて教諭4名が戒告処分を受け、翌2011年3月には教諭2名が戒告処分を受けました。)。

(4)「手続の透明性」を確保する制度規定はない
 本条例案は、懲戒処分規定を定める目的として、「手続の透明性を高め、より一層厳正に行うことで、教員等の不祥事を未然に防止し、府民の教育行政に対する信頼を確保すること」を掲げています。また、分限処分の目的として、「手続の透明性を高め、厳正かつ適切に対応することにより、府民の教育行政に対する信頼を高めるとともに、公務の適性かつ能率的な運営を確保すること」を掲げています。
 しかし、手続を透明化するための制度はほとんど定められておらず、前述の72項目もの懲戒事由が目立つばかりとなっています。
 もし手続の透明性を高めるならば、そのための規定として、客観性および合理性が保障される事実認定の方法(懲戒対象となる非違行為等の有無の認定方法、その違法性・悪質性の度合いの認定方法、証拠の提出および採用の方法など)を定めたり、当事者による弁明の方法(聴聞手続の事前告知の規定、弁明手続において保障される権利の明確化、書面だけでなく口頭による弁明の機会の確保など)、さらには処分の決定方法(合議の方法、議決の方法など)も明確に規定されるべきです。
 とりわけ公務員の懲戒処分は、任免権者の側にある者が自ら資料収集をして処分を決定するものであり、刑事裁判におけるような「裁判所と検察官の分離」は図られていません。極めて糾問的な手続に終始するおそれがあるのです。それだけに、教育委員会側が収集した資料や把握した事実について、当該教員が十分に反論できる機会が保障されることは、処分の適正を確保するうえで極めて重要です。誤った事実認定に基づいて、「えん罪」の懲戒処分がなされてはなりません。
 ところが、本条例案には、こうした点についての詳細な規定は存在しません。以前から存在する「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」(昭和26年11月8日・府条例第42号)と同様の趣旨をおいたうえで、判断にあたって考慮すべき事実を1箇条(23条1項)に定めているだけです。また、処分を受ける教員等の弁明・聴聞の手続については、すでに大阪府教育委員会聴聞等の手続に関する規則(平成6年9月30日・大阪府教育委員会規則第10号)により定められており、今般の教育基本条例案はこの既存の手続を変更・充実化する規定をおいていません。
 したがって結局のところ、本基本条例における懲戒処分の手続規定としては、@府教委が人事監察委員会の審査に付し、Aその結果を尊重して府教委が処分を決定する、B教員に弁明の機会を与える、C処分する旨を記載した書面を教員に交付する(このうちB・Cの具体的内容は既存の府規則に従う。)、という程度しか定めていないのです。
 なお、上記Cは、処分の「理由」を記載しなければならないとは定めず、処分する旨を記載するだけでよいと定めています。これは、理由の告知を義務付けることにより行政処分の適性を確保しようとする行政手続法14条の要件を満たしていません。
 そして、「手続の透明性」を高めるといいながら、上記@にいう「人事監察委員会の審査」とはどのような構成でどのように議論をして処分意見を決めるかは不透明であり、その審査は非公開のものと思われます。そして、上記Aのように人事監察委員会の審査結果を「尊重」するといいますが、要するに同審査結果に拘束されることなく教育委員会が処分を決定できるというものです。具体的事案において同審査結果を「尊重」すべきか否かについての具体的基準は明確にされず、府教委でどのような議論がなされたかは明らかにされません。
 本条例を制定する口実とされた「手続の透明性」について、それを確保するために実効的な規定は何ら存在しないのです。

(5)職務命令違反への処分が重罰かつ画一的すぎる
     ―――「君が代」起立斉唱の命令違反をターゲットにした重大処分

 本条例案には、前述の72項目の懲戒事由とは別に、校長による職務命令に違反した教員に対する処分として以下の規定が設けられています。
  ・1回目の違反=減給又は戒告
  ・2回目以降の違反=停職および氏名公表
  ・5回目の違反または同一の職務命令への3回目の違反=免職
 このように、いかなる職務命令の内容であるかを問わず、いかなる態様での命令違反であるかも問わず、ただ違反回数のみに応じて処分内容が定められています。実際には職務命令の内容や違反状況が軽微な場合であっても、そのことは考慮されずに減給や停職などの重大な処分が実施されることになります。
 これは、処分の重罰化をもたらすとともに、校長の職務命令に絶対的な強制力をもたせて、校長による教育現場の支配統制を貫徹させようとするものです。職員会議で時間をかけて教師同士が議論をして、教師が自主性や創意工夫を発揮しながら学校運営をしていくのではなく、絶対的な命令権限をもつ校長による学校運営が基本とされているのです。
 なお、同一の職務命令に3回違反した場合は免職とされています。これは、橋下知事が「君が代を起立斉唱しない教師はクビにすべき」と表明していたのを実現するために盛り込まれたものです。「君が代」を起立斉唱しない教員を主たるターゲットとした規定といえます。
 侵略戦争を遂行する道具とされた「日の丸」と、歌詞の内容が国民主権と相容れない「君が代」に対しては、拒否感をもつ教員や児童生徒・保護者も少なくありません。これを強制する職務命令を拒否して「君が代」斉唱時に黙って着席していることは、形式的には職務命令違反となりますが、実質的には何ら卒業式等の儀式を妨害することになりません。こうした場合でも、1回の違反で直ちに減給又は戒告、2回目には停職、3回目には免職という重大な処分となります。このことは、思想・良心の自由に対する重大な侵害となります。

(6)処分事由を列挙して教育現場に重圧を課すことが目的
 本条例のように72項目もの多数の懲戒事由を列挙した例は、他の自治体には存在せず、他の民間企業にもほとんど例がないと報道されています。
 72項目の中には、「人を殺した教員」は免職、「放火をした教員」は免職というように、刑法犯や道路交通法違反の構成要件をそのまま懲戒事由としたものが約20項目も含まれています。そもそも、これまでに殺人や放火などの重大犯罪を犯した教員の処分が軽すぎるとして問題になったことはありません。あえて、こうした事例を列挙する必要性はないはずです。
 このように多数の懲戒事由を列挙されると、これを読んだ者は、あたかも「こうした非違行為を起こす教員が多数存在するのだろう。」、「これまでは、こうした問題教員は適切に処分されなかったのだろう。」というイメージを抱いてしまいます。この条例が、そうした狙いを有していることは明らかです。なぜなら、本意見書で述べるように、多数の懲戒事由を並べることは必ずしも「手続の透明化」や「適切化」にはつながらないのであり、懲戒事由を多数列挙すること自体に意味をもたせているとしか思われないからです。
 こうした処罰の類型を定めておくことは、教育現場においては「今後は厳重な処分を実施する」という重圧を課すことにほかなりません。非違行為をした者に対する効果だけでなく、真面目に勤務している全ての教員に対して、すべて知事・教育委員会・校長の指示命令に服さなければならないという威圧感と委縮効果を教育現場に浸透させることになるのです。

(7)争議行為、あおり行為に対して重い処分を課す
 条例案の定める懲戒事由には、以下のような規定もあります。

 ・地方公務員法第37条第1項前段の規定に違反して、ストライキ等の争議行為を行い、
  又は職場の活動能率を低下させる怠業的行為をした教員等
     →減給又は戒告
 ・地方公務員法第37条第1項後段に規定する違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、
  そそのかし、若しくはあおった教員等
     →免職又は停職

 これは、地方公務員法37条が禁止する争議行為を行った者への懲戒を定めるものです。そもそも公務員の労働基本権(争議権)の否認に対しては法律学者からも批判が多く、かつて公務員の争議権の否認は必要最小限度にとどめるべきとする判決(最高裁昭和41年10月26日判決・全逓東京中郵事件)も出されたことがあります。
 仮に争議権の行使が違法とされた場合であっても、争議行動の指揮命令の中枢部にいる労働組合幹部と、末端の一組合員とでは負うべき責任の度合いが異なります。これらの者を同一の処分とする必要はなく、処分を課すに値しない一参加者もあるでしょう。ところが本条例は、一律に「減給又は戒告」を課すとしているのです。
 争議行為には多数の労働組合員が参加するのが通常ですが、本条例はそれに参加した者を全員懲戒することを原則としており、余りに広汎な処分であり不当です。
 さらに争議行為を「企て」、又は「共謀し、そそのかし、若しくはあおった」というのは、直接に争議行為を行った者以上に範囲が広がってしまう可能性があります。事前の会議に出席しただけで「共謀」とみなされたり、「要求実現のために頑張ってくださいね」と口頭で応援しただけで「そそのかし、あおった」とみなされる危険があります。この条例では、こうした場合について一律に「免職又は停職」と定めており、あまりに広汎かつ厳しすぎる処分が強行される危険があります。
 (なお、これと全く同内容の規定は、現行の「大阪府教育委員会懲戒処分指針」(平成22年1月15日策定)にもあります。現行指針の規定自体がそもそも不当であるとともに、これをさらに条例化することによって今まで以上に教育現場に重圧を課し、正当な教職員組合活動を委縮させることは明らかです。)

(8)非違行為に加担しなかった教員に対しても重罰を課す
 本条例案は、非違行為を行った教員等だけでなく、幅広く周囲の教員等に監督責任を課しています。このことは、本来は非違行為に直接関与していない者にまで、不相当に重大な処分を課す結果をもたらすおそれがあります。
 すなわち、本条例案は、「部下の教員等に対して通常指導すべき義務を負う教員等」(学年主任、生徒指導部長などがこれにあたる)が監督責任を負うことを明記し、その例として「部下の教員等の非違行為を知得したにもかかわらず、その事実を隠ぺいし、又は黙認した管理監督者は、減給又は停職若しくは免職とする。」と定めています。
 教育委員会が「隠ぺい」や「黙認」の有無を的確に認定することは容易ではないですから、状況証拠などから「貴方は黙認をしていたはずだ」と決めつけられて停職や免職という重大処分を受けてしまう可能性があります。
 また、「隠ぺい」や「黙認」の意味が拡大解釈されて運用されていけば、教育現場に問題が生じても「知らなかった」と言っておけば処分されない(無関心でいた方が処分されない)という風弊をもたらし、あるいは逆に、後で「黙認していた」と言われないために教育現場において相互監視と密告が強められる殺伐とした状況が作出されるおそれがあります。これでは、悩みを抱える教師が「相談したくても相談できない」という状況に陥る可能性があります。

3 分限処分の手続及び効果 (27条以下)
(1)懲戒処分と同様に、厳罰化と処分の広範化をもたらす
 基本条例案は、分限処分をする場合として6項目の処分事由を列記し、それぞれに対する処分を定めています(なお、分限処分の種類は地方公務員法28条1項が定める免職・降任の2種です。)。これと並んで、「2年連続最低ランクの人事評価となった場合」など22項目の事由(別表3〜6)を定めて、これに該当する教員は分限処分対象者に「該当する可能性のある者」とされます。この場合、校長による注意指導や教育委員会への報告、教育委員会による面談、さらに改善が見られない場合は警告書の交付などが行われます。
 このように多数の分限事由を列挙すること自体が、「このような問題教員が多数存在する」というイメージを府民に植え付けたり、厳罰化をもたらす結果となることは、懲戒処分について述べたのと同様です。
 なお、現行の「大阪府教育委員会分限処分指針」(平成22年2月17日施行)は、教員の分限処分については、「大阪府教育委員会分限懲戒審査会の審査を経て大阪府教育委員会が決定する」と定めていました。ところが、本条例は実質的な審査機関を「大阪府人事監察委員会」と定め、その審査結果を尊重して教育委員会が処分を行うと定めています。つまり処分審査権限を教育委員会から奪っているのであり、「大阪府人事監察委員会」の構成によっては、個々の教員の処分に対する政治的圧力が強まるおそれがあります。


(2)不合理な相対評価、恣意的な評価に基づく処分の可能性
 
条例案が定める6項目の分限処分該当事由には、担当職務についての「実績が不十分」(免職又は降任)とか、「資質、能力に課題があるため、日常的に児童等への指導を行わせることが適当でない教員(指導力不足教員)」(免職)といった定めが含まれています。
 こうした定めは、「1ヶ月以上の行方不明」のように客観的に判断できる事由とは異なり、評価方法や評価基準によって結論が異なってくるものです。こうした処分事由に該当するか否かの判断は、教育委員会が行うこととされています。しかし、客観的かつ公正な判断がなされる制度的担保は存在しません(このことも、懲戒処分の項で述べたのと同様です。)。

(3)現行の分限指針の「教職員室の対応」を削除
 教職員の分限処分についての基準や手続内容についての現行の基準は、「大阪府教育委員会分限処分指針」(平成22年2月17日施行)です。この指針は、本条例案と類似する点も多く、そのまま横滑りさせたように同じ内容の規定も多くあります。
 ところが、本条例案が意図的に現行指針から排除した事項があります。特に目立つのが、教師の分限処分に先だって現行指針が「教職員の対応」を定めているのに、本条例案はこれを一切削除した点です。
 すなわち、現行指針は校長と府教委の教職員室が協力して分限処分対象教員については、まず指導・支援をすることになっていました。しかし、本条例では、府教委教職員室を含めて、対象教員に指導・支援することを一切やめて、ひたすら分限処分に突き進むことを規定しているのです。


(4)周囲の教員の援助・協力を求めることが分限処分の対象となる(別表第3の4号)
 本条例案は、業務を一人で処理できず、常に上司や他の教員の支援を要する教員について、「職務遂行の実績が不十分な教員に該当する可能性があり分限処分の可能性がある」ものとして扱い、指導や研修を受けさせ、さらに改善が認められない場合には警告書交付の対象としています。つまり、「支援」を要する状態があれば「実績不十分」とされてしまうのです。
 これでは、悩みを抱えた教員が周囲に相談や援助を求めることもできなくなり、一人で悩みを抱え込んで孤立してしまう教員が増えてしまいます。
 いま教育現場では、過重負担やストレスにより精神疾患になる教員が増えています。本来必要とされるのは、教師が相互に相談し合い、援助しあいながら教育課題に向き合うことです。そのこと自体を「職務実績不十分」として分限処分の対象とするのは極めて不当であり、教育現場にさらなる疲弊をもちこむことになるのは必至です。



(5)「指導力不足教員」への分限処分の問題点(31条、別表5)
ア 指導力不足教員との相談・援助ではなく「記録・資料収集」が義務付けられる
 本条例は、学習指導等を適切に行うことができない教員の例を別表5に列挙し、これを「指導力不足教員」と名づけています。こうした教師に対しては、以下のように対応することと定められています。
 ・校長が教員の状況を記録し、資料を収集する
 ・指導力不足の状態が続くときは、校長は教育委員会に意見書を提出する
 ・校長から意見書の提出を受けた教育委員会は、教師に面談して指導力不足の内容を確認する。
 ・面談の結果、指導力不足が認定された場合、教育委員会はその教員に対して半年間の指導研修を実施する。
 ・指導研修によって改善されない場合は、分限処分を行う
 この手続においては、校長が当該教員を「指導力不足」と認定すれば、ただちにその状況を「記録」し、「資料を収集」しなければなりません。これは、後に教育委員会へ意見書を提出する際の基礎資料となります。つまり、クラスでの指導状況に悩む教師とは親身に相談・援助するのではなく、「指導力不足教員」というレッテルを張って監視と統制を強めることが校長の義務となるのです。当該教員が抱えている悩みに耳を傾けて「校長も教諭も、一緒に悩みを共有して解決しよう」という姿勢は、この条例には一切ありません。
 その教師との「面談」を行うのは教育委員会であって、校長ではありません。教育委員会は、校長が「記録と資料収集」をして作成した意見書に基づいて、その教師に対して質問や追及をすることとなります。校長自身も府知事と教育委員会による監視統制の対象ですから、その校長が作成する意見書には、自分の監督責任を認める内容が盛り込まれることは期待できません。つまり、ただ当該教員一人の指導力不足がすべての元凶であって、他には問題はないという意見書を作成し、その教員を切り捨てることによって保身を図ることが可能となります。
 したがって、あるクラスでの指導状況が問題となった場合も、生徒自身や保護者をとりまく問題点、周囲の教師による援助や協力によって解決が図れるか否かという問題点、校長自身が問題解決のために何らかの努力・配慮をしたかという問題点などは、校長から教育委員会へ伝えられない可能性があります。
 このような状況が作られてしまえば、悩みを抱える教師が同僚や校長に打ち明けて相談することもできなくなり、一人で抱え込んでしまい孤立することが予想されます。


イ 本条例案が定める分限手続の不当性(教育公務員特例法違反)
 本条例案は、半年間の指導研修をしても改善が見られない場合は分限処分として免職すると定めています(31条5号)。
 しかし、これは教育公務員特例法が定める手続に違反しています(なお、同法は本条例とは異なり「指導力不足教員」という言葉を用いていません。)。
 第一に、処分の重さを原則として免職に限定しており、重きに失している点です。
 すわなち、教育公務員特例法25条の2は、教育委員会が「指導が不適切である」と認定した教諭に対して、1年以内の「指導改善研修」を行い、さらに同研修後も「指導の改善が不十分でなお児童等に対する指導を適切に行うことができないと認める教諭等に対して、免職その他の必要な措置を講ずるものとする」(同法25条の3)と定めています。
 つまり同法は、「免職その他の必要な措置」を行うと定めているのであり、免職以外の軽い処分や配置換えなどによる対応も視野に入れているのです。これに対し、本条例案は原則として免職処分をすると定めているため、事案によっては不相当に重すぎる処分となる危険があります。
 第二に、同法25条の2第5項は、指導研修後の指導力改善の有無を認定する際には、教育学等の専門家および保護者の意見を聞かなければならないと定めています。ところが本条例案は、そのような定めを意識的に省いており、教育委員会が人事監察委員会の審査に付してその結果を尊重して分限処分を行うと定めているだけです。
 同法は、指導状況への評価を起訴として分限処分という不利益を課す過程において恣意的あるいは不公平な判断が介在してはならないことから、専門家や保護者の意見を聞くことを義務付けているのです。これに対して本条例は、そのような手続上の配慮を一切定めず、校長と教育委員会の権限だけを強化・詳細化させる規定を並べています。これは明らかに教育公務員特例法の趣旨に停職しています。


ウ 分限免職をなしうる対象は法律により限定されている
 そもそも分限免職は、地方公務員法で要件が定められており、府条例はこれに反することができません。
 同法28条は、分限免職をできる場合として、勤務実績が良くない場合、心身の故障のため職務遂行に支障がある場合、その他その職に必要な適格性を欠く場合と定めています。ここでいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に起因して当該職員の職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうとされています(最高裁昭和48年9月14日判決)。
 ところが本条例案は、分限処分の対象を幅広く拡大しており、本来であれば指導や援助によって改善が見込まれるような場合であっても、「指導力不足教員」という烙印を押して、一律に「免職」とするよう定めているのです。これは、地方公務員法や最高裁判例により許容される分限処分の範囲を逸脱しており違法です。
 「指導力不足教員」と一括りにされた事例を個別的かつ実質的にみれば、ただ教員一人のみが責任を負うべき事態ばかりではなく、児童生徒や保護者が抱える問題点、1クラスに教員1人の体制では対応しきれない問題点、周囲の教員の援助と協力が十分に得られない問題点など、多様なケースがあります。そうした状況を把握して、教師および保護者の連帯と協力によって事態を解決することこそが教育の場に求められるはずです。ところが、本条例は、そうした事例が生じれば直ちに「教師の指導力不足」として免職処分の対象としているのです。

【※補足 現行法令等との関係】
 懲戒および分限の手続を定める条例として、すでに職員の懲戒の手続及び効果に関する条例(昭和26年・大阪府条例第42号)、職員の分限に関する条例(昭和26年・大阪府条例第41号)がある。処分対象教員の弁明・聴聞に際する規定としては、国会が定めた行政手続法のほか、大阪府行政手続条例(平成7年・大阪府条例第2号)、大阪府教育委員会聴聞等の手続に関する規則(平成6年・大阪府教育委員会規則第10号)がある。これら現行法令は、具体的な懲戒基準を定めるものではなく、処分対象教員や関係者の意見を聞くなどの手続要件を定めるものである。これらに対応する内容は、特に本条例案には含まれていない。
 これに対して、具体的な懲戒および分限処分をなすべき事例を列挙したものとして、大阪府教育委員会懲戒処分指針(平成22年1月15日策定)および大阪府教育委員会分限処分指針(平成22年2月17日策定)があり、この2つの指針の規定を横滑りさせた同様内容の規定が、今回の基本条例案に多く含まれている(なお、後者には分限処分に先立つ手続規定も含まれている。)。
 本条例は、この2つの現行指針をベースに、懲戒・分限事由を列挙している。さらに当該対象教員だけでなく校長や上司の監督責任まで明記して、これらの者まで処分を課すことを原則としている。


■「第7章 学校制度の運用」について
1 公立高校の学区制廃止(43条)――― 学校の序列化と競争が激化
 本条例案は、公立高校の学区制を廃止して府下全域を通学域とします。
 現在は、大阪府の公立高校は4学区に分かれています(2006年入試までは9学区)。これを廃止して、全公立高校を一つの枠内で競争させることになります。偏差値による学校の序列化と競争が一層進み、下位校に生徒が集まらなくなる可能性があります。
 現行の4学区制でも十分に通学域は広域化されています。さらに通学域を広域化することにより、地元の学校に進学したくてもできない生徒が多数生じる可能性があります。長い通学時間のために勉学や部活動を十分に取り組めなくなるなどの弊害も考えられます。
 通学圏広域化により、在学生のうち近隣住民の割合は減少し、地域と学校との結びつきが弱められます。

2 学校の統廃合(44条)――― 「2年連続定員割れ」で学校を廃止
 学区制廃止により下位校に生徒が集まらなくなることを見越したように、本条例案は3年連続で入学定員割れになった高校は統廃合しなければならないと定めました(しかも、たった一人だけ定員割れした場合でも、それが3年続けば統廃合されます。)。
 しかし、学校施設は府民の財産であり、すべての学校で充実した教育を実践できるよう環境整備するのが行政の責務です。意図的に競争を激化して学校統廃合に追い込むことは、教育本来の姿とかけ離れた異常な姿です。
 定員割れを生じた学校にも、そこに通って勉学や部活動に励む生徒がいます。熱意をもって教育実践を行う教員もいます。定員割れが生じていることは、必ずしもその学校の教育内容に問題があることを意味しません。偏差値や大学合格者数という尺度だけで評価できない学校の存在意義や価値があります。それを一切考慮せずに、ただ定員割れという理由だけで統廃合を「しなければならない」と定めるのは、あまりに乱暴な制度です。
 この条例より学校の統廃合が決まった場合でも、その学校の在学生が卒業するまで、学校は存続します(在学生を全て転校生として直ちに統合先に受け入れさせる容量は無いからです。)。入学生を迎え入れないまま、最後の卒業生を送りだすまで2年間、残された学年の生徒だけで学校生活を送ることになります。こうした状況を繰り返すことは、その学校で培われてきた教育実践を破壊・消滅させるものです。廃校後の学校施設および跡地を有効利用できる保障はありません。特に都市部から離れた地域に立地する学校の場合は、長年にわたり土地建物の利用方法や売却先が見つからず、結果として府民の財産を無為に遊休化・消滅させることになります。



■「第8章 学校の運営」について
1 校長の権限を徹底強化(45条)――― 教師集団による自由な討議や創意工夫を排除
 本条例は、これまでにみたように校長の権限を徹底的に拡大強化しており、教職員の自由な議論や意思決定を排除しています。そして、第8章の第45条で、校長は 「学校運営に関する最終的な意思決定」をおこなうものとあらためて位置付けています。
 このように校長の権限を強化する動きは、2000年(平成12年)に新設された学校教育法施行規則48条が、職員会議を「校長の職務の円滑な執行に資するため」の機関として、「職員会議は、校長が主宰する」と定めたことと軌を一にしています。職員会議は、教職員の自由な討論と意思決定の場ではなく、あくまで校長の意思決定の諮問機関ないし補助機関にすぎないという考え方です。
 しかし、強権的な権限行使は、教育という営為にはなじみません。直接に児童生徒と向き合って教育実践をしている教職員が十分に議論と合意形成をしたうえで学校運営がなされることが極めて重要です。
 仮に職員会議は校長の補助機関であると考えた場合でも、校長が意思決定をする場合に教職員の意向を無視・軽視してよい訳ではありません。教職員による自由な討論は、教師集団が直面する教育課題を解決するうえで重要な事項を見出し、相互に提案や修正意見などを出し合って議論をすることにより認識が深まることもあります。そうした過程を通じて、教師集団としてのチームワーク・団結性が高まり、豊かな教育実践が可能になります。そうして得られた成果をもとに校長が最終決定や判断をするというのが、あるべき学校運営の姿です。本条例には、こうした姿勢は一切なく、ただ校長に強権を与えて教員を縛り付けているだけであり、これでは真に豊かな教育実践は実現できません。


2 児童・生徒への懲戒(47条)――― 「有形力の行使」を認めて、体罰を事実上容認
(1)有形力の行使を認める問題点
 本条例案は、教育上の必要があるときは「必要最小限の有形力」を行使してよいと規定しています。但し書きとして「体罰を加えることはできない」とも規定されていますが、有形力の行使を正面から認めてしまっているところに、体罰を禁止する学校教育法11条との重大な違いがあります。
 学校教育法11条は、「教育上必要があると認めるとき」において、「懲戒を加えることができる」という規定であり、体罰は絶対的に禁止されています。同法は、本条例のような有形力の行使を認めていないのです。体罰によって正常な倫理観を養うことはできず、むしろ「力による解決」を受容・肯定して自ら暴力行為を起こしやすい人格が形成されるおそれがあるからです。
 ところが本条例は、当該教員が「教育上の必要がある」と判断したときは直ちに有形力の行使を許容しています。「必要最小限度のみ」という縛りはありますが、それ自体が不明確な基準であるため、体罰の規制手段として実効的ではありません。結局のところ、体罰に当たるか否かの境界線上にあたる行為を中心として、これまで以上に「許容される有形力の行使」を拡大し、事実上の体罰の容認につながる危険性が高くなります。
 一人一人の児童生徒に向き合い、暴力・体罰ではなく人間的な心の触れ合いによって成長発達を促すことこそ求められる教育のあり方です。

(2)文科省通知や最高裁判例との比較
 文部科学省は平成19年2月5日付で、「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」と題する通知を発しました。これは一定の場合に有形力の行使を認めている点で問題があります。しかし、同通知も、「いかなる場合においても、身体に対する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。」と定めており、本条例案のように「教育上の必要性」さえあれば安易に有形力の行使を認めている訳ではありません。
 最高裁判所が平成21年4月28日に言渡した判決は、上記の通達にもまして有形力の行使を容認している問題点があります。それでも、本条例のように原則として有形力の行使を認めるというものではなく、その目的・態様・継続時間等を詳細に判断したうえで、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するか否かを検討することを必要としています。あくまで、有形力の行使が認められるのは例外的場合のみとされています。
 学校教育法施行規則26条1項は、「校長及び教員が児童等に懲戒を加えるに当っては、児童等の心身の発達に応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない。」と定めています。有形力の行使以外の方法による懲戒であっても、児童生徒に対して行う場合は心身の発達に応じた慎重な配慮を必要としているのです。本条例案は、こうした制約を取り払い、教育上の必要があれば容易に有形力の行使を認めている点で、極めて不当です。



■「第9章 最高規範性」について
 本条例案の48条は、「この条例は、府の教育に関する最高規範である」と述べています。
 法律が認める以上の権限を知事に与え、絶対的な学校運営権限を校長に与える本条例案を「最高規範」であると宣言することによって、あらためて教育に対する支配と教員に対する統制を強める意思を表明したものです。
 しかし、いくら最高規範といっても、本条例に反する「憲法、法律」が無効とまではいえません。あくまで本条例案は、現行の憲法や教育基本法の下で、これに適合するように運用されなければならず、憲法と法律に反する条例は無効なのです。
 わが国の最高規範は憲法です。憲法が最高規範とされる実質的根拠は、憲法が人権保障を内容とする規範である点に求められます。これに対し本条例案は、人権保障を内容とするものではなく、むしろ教員の人権を著しく制約して管理統制に服せしめるというものです。このような条例が最高規範とされるべき実質的根拠はありません。


 以上のように、「大阪維新の会」が大阪府議会に提出しようとしている教育基本条例案は、極めて問題が多くあります。
 最大の問題点は、政治家である府知事の権限を拡大強化することによって、教育内容への政治的支配を可能とする点です。
 また、現行法規との矛盾・抵触も多く存在していることから、府議会での審議に耐えられるか否か、重大な疑問があります。また、このまま条例が成立して施行されれば、法律規定との矛盾抵触部分を調整するために多くの時間や制度改廃を要する可能性もあります。
 多くの府民が、この教育基本条例案に不安や疑問を抱いています。
 「大阪維新の会」におかれては、拙速な条例案提出や強行採決を避け、府民に対して条例案の内容を十分に知らせて議論を行い、議会各会派との間で公開の討論を行うなどして、慎重かつ充実した審議をしていただくよう求めるものです。


            
PDFデータ   → 教育基本条例・全条文   →府・市で成立した条例




  
  

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