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空襲のとき、地下鉄への避難は禁止された


 

安全な地下鉄駅に逃げることは許されない


 アメリカ軍が東京と大阪を空爆した1945年3月、すでに両都市には地下鉄がありました。「空襲のときは安全な地下駅に逃げよう」と思う人も多そうですが、それは禁止されました。「空襲のときは、一時的に待避をしてもよいが、直ちに飛び出して消火をせよ」と義務付けられていたのです。

■帝国議会で発表された「地下鉄への避難禁止」
 大空襲より3年以上前、真珠湾攻撃による日米開戦の前月に、帝国議会(当時の国会)で「空襲時には地下鉄の駅や施設を避難場所に使わせない」という政府方針が示されました。
 地下への避難を禁止する理由は 「空襲時は一時的な待避のみが許されるのであって、空襲の直後には身を挺して消火活動に飛び出さなければならない。したがって、安全な地下駅に逃げることは許されない。また、空襲時には軍事・消防目的の輸送が優先されるから国民一般の避難に使わせることは不可能」というものでした。
 議員から疑問の声も上がりましたが、この政府方針は終戦時まで変わることはありませんでした。

  

 上の新聞記事は、昭和16年11月18日付の朝日新聞です。一面に大きく「空襲下における地下鉄 避難 行わず」と書かれています。当時は、「空襲のときは地下鉄の駅へ逃げれば助かるのでは」と思う人もいて、帝国議会の審議が注目されていたのです。
 書籍「逃げるな、火を消せ」123ページ以下で、当時の質疑が紹介されているので、ぜひお読みください。

■地下鉄への避難禁止を明記した「中央防空計画」
 その後、太平洋戦争が激化していくと、「空襲からの避難を許さない」という方針は強化されます。 昭和19年6月に立案された「中央防空計画」の第127条にも、「地下鉄道の施設は、これを待避または避難の場所として使用させない」という方針が明記されています。
(↓下の写真参照)。




■ロンドンでは、地下鉄への避難が奨励された
  英国ロンドンでは、1940年にドイツによる空襲が始まり、地下駅への避難が推奨されました。下の写真は、ドイツ軍機の空襲を受けて地下駅に避難したロンドン市民の様子です。第二次大戦中は約80駅に17万人が避難し、二段ベッドや医薬品なども用意されたといいます。
 
 

 このようにイギリスでは、市民を守るために公共設備が活用されたのです。これと比べると、「逃げずに火を消せ。地下駅への避難は認めない!」という日本政府の方針は、あまりにも冷酷ではないでしょうか。
 
 2014年2月に放送されたNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」では、大阪大空襲の場面で、市民が地下鉄の駅へ逃げることが禁止されたエピソードが出てきました。これは、上記のような「防空法制」によるものでした。ドラマでは、主人公たちは強く交渉して地下鉄で逃げることができましたが、当時の市民の圧倒的多数は、そのような行動をとれませんでした。 
 ⇒ NHK朝ドラ「ごちそうさん」と防空法

 2016年11月の新刊書「逃げるな、火を消せ――戦時下トンデモ防空法」にも、これらの経緯が詳しく紹介されています。ぜひ、お読みください。




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