「空襲は怖くない」という情報統制と、「逃げずに火を消せ」という防空法
 そして、政府による
「思想の植え付け」も、しっかり認定
この判決はスゴい !・・・ 大阪空襲訴訟
(大阪地方裁判所 平成23年12月7日判決 、 大阪高等裁判所 平成25年1月16日判決)


判決のインパクト ――― 政府の「情報統制」と「防空法制」を認定
 空襲被害者への謝罪と補償を求めて、国を相手に23人が提訴した「大阪空襲訴訟」。原告の敗訴となりましたが、その判決には、もの凄いインパクトがあります。
 政府による情報操作や、決死の消火活動の義務付けにより、市民は危険にさらされ、深刻な空襲被害を負った・・・。 この事実が司法によって認められたのです。その内容をみていきましょう。

「空襲は怖くない」、「逃げずに火を消せ」
という政府指導を報じる新聞記事

【目次】
 退去は禁止された(実際に退去は困難だった)
 疎開を制限、「身を挺して防火せよ」
 政府による「思想の植え付け」
 床下の防空壕――― 安全性の低い待避施設
 情報統制――― 空襲予測は秘密、空襲被害も秘密
 焼夷弾は手袋をはめて投げ出せ! トンデモ指導方針
 かつての裁判例とは大違い ――― 防空法は有益ではない
 退去の禁止―― その法的根拠は
 被害者の苦痛を認定 ――― 「解決すべき」のメッセージ
 政府の「戦争損害受忍論」を否定
 なぜ敗訴したか――― 重大な差別の一歩手前


 【関連リンク】

 大阪空襲訴訟

 一審判決(PDF)

 二審判決(PDF)

 防空法制 Q&A

 NHK「ごちそうさん」
 と防空法

 地下鉄への避難
 も禁止された



都市からの退去は禁止され、実際に退去は困難だった

 一審判決は、膨大な証拠を検討したうえで、次のように認定しました。

【判決文】
被告が,太平洋戦争を開始し,原告ら空襲被害者を含む国民に対し,防空法を改正して退去を禁止できる場合を定め,
原則として退去をさせないようにする趣旨の指示を直接的又は間接的に行い,隣組として防火活動をすることを求めるなどして,事前退去をすることが事実上困難といい得る状況を作出したことなどは,前記認定事実から認められる

(一審・大阪地裁 平成23年12月7日判決・39ページ)

 これは、法律だけでなく、政府の宣伝指導の影響なども考慮した認定です。二審では、国側が猛烈に一審判決を批判しました(まるで一審で国が敗訴したかのように)。ところが二審でも、次のように国側の主張は否定されます。



疎開を制限し、「身を挺して防火せよ」 ――― 国側の主張を否定
 二審判決は、国側の反論を斥けて、次のように認定しています。

【判決文】

(国側は、疎開政策により都市からの退去が認められていたと反論するが、)当時の疎開政策は,あくまでも国土防衛の目的から策定されたものであり,生産,防衛能力の維持に必要な人材に対しては,
疎開を原則として認めないものとし,これらの者に対しては身を挺して防火に当たるよう求める一方で,上記防空に足手まといとなるような老幼妊産婦病弱者は優先的に疎開させるという方針を同時に示しているものであり,無条件に国民の疎開を推し進めるものではなかった。

(二審・大阪高裁 平成25年1月16日判決・31〜32ページ)

 政府は、「学童疎開」と「建物疎開(による転居)」以外には、疎開や退去を認めなかったのです。弁護団が提出した数々の証拠によって、裁判所がその事実を認めました。

「疎開の足止め・中止」を報じる新聞記事 → 
左:昭和19年12月13日付・毎日新聞戦時版
右:昭和20年5月5日付・朝日新聞     




政府による「思想の植え付け」も認定
 二審判決は、さらに戦時中の政策に切り込み、政府が国民に「思想を植え付けた」と明言しました。こんな判決は珍しいです。

【判決文】

(国側は、大阪空襲当時,退去が困難な状況を政府が作り出していないと反論するが,)少なくとも開戦当初は,
一般的に退去を行わせないという方針を掲げ,隣組として防火活動に従事することが国民の責務であるといった思想を植え付けるなどして,事前退去をすることが事実上困難といい得る状況を作出していたと認められる。

(二審・大阪高裁 平成25年1月16日判決・32ページ)



裁判所にも提出された「防空必勝の誓い」。
私たちは「御国を守る戦士」です、
などの記載がある。(写真週報283号)




床下に防空壕を作らせる方針 ―――「安全性の低い待避施設」
 一審判決は、「逃げるな、火を消せ」という政府指導の一環として、「防空壕」についての政府方針の問題点も指摘しています。

【判決文】

 昭和16年12月に防空法が改正されると,防空壕については,簡易な一時待避所と位置付けられ,被告の発行物等では,
「防空壕」ではなく「待避所」という用語で表現されるようになった。設置場所も床下や軒下とすべきとされ,作りも簡易なもので足りるとされた。
 また,昭和17年7月9日に内務省防空局が発した「待避所の設置に関する件」という通牒には,「待避の必要性を強調するあまり、逃避的観念を生じさせないよう厳に留意し,焼夷弾落下等の場合は
直ちに出動して自衛防空に任ずるという精神を高揚させ,かつその訓練を行うこと」と記載されていた。
 このような状況の下で,簡易で
安全性の低い待避施設が全国で設置されるようになった。

(一審・大阪地裁 平成23年12月7日判決・14〜15ページ)

 戦前には、防空壕は空地や庭に作るよう指導されていましたが、資材や工具の窮乏により、昭和16年以降は「床下に作れ」、「簡易なものでよい」とされました。
 これにより、燃えた建物の床下から逃げられず犠牲になる人が続出しました。こうした問題点が、上記のとおり認定されたのです。


東京大空襲の2日前(昭和20年3月8日)の朝日新聞。→ 
防空待避所は今のまま床下に作ればよい、と再強調されました。





空襲の将来予測は「国民に伝達しない」
  ――― 空襲の開始後も、被害実態を知ることはできなかった

 一審判決は、空襲に関する
情報統制(秘密保護)についても認定しています。

【判決文】

被告は,前記のとおり防空体制を整備する一方で,昭和18年及び昭和19年に陸軍省・海軍省が策定した「緊急防空計画設定上の基準」の冒頭で,「本空襲判断は、作戦上に及ぼす影響をも考慮し、
一般に対し伝達を行わないものとする」と記載したように,予想される空襲における空襲目標,爆弾の種類や投下方法,空襲機数及び頻度などについての軍の判断を一般国民に伝達しないものとされ,現実に空襲が開始された後も,新聞等ではその被害の実態は正確に報道されず,空襲被害者が,報道等によって他の空襲被害の実態を正確に知ることはできない状態にあった。 

(一審・大阪地裁 平成23年12月7日判決・15ページ)



 空襲の将来予測も秘密、実際に起きた空襲の実態も秘密。国民は、危険性を知らないまま空襲必至の都市に残留させられたのです。現代の「特定秘密保護法」の問題点と重なりますね。


死者90人以上を出した本土初空襲の翌日、
昭和17年4月29日付の朝日新聞。→
「空襲被害は大きい」というデマを流すな、
デマを信じるな、日本軍を信頼せよ、という
政府の呼びかけを報じています。
    




「焼夷弾は手袋をはめて投げだせ」!?――― 非科学的な指導
 さらに二審判決は、政府のトンデモ指導方針を認定し、情報統制によって国民が「危険な状況におかれた」と、はっきり認定しています。とても危険な「安全神話」です。

【判決文】
昭和19年12月1日付け朝日新聞に,小幡防空総本部指導課長の談話として,
「焼夷弾は手袋をはめてつかんで投げ出せばよい」との記事が掲載されるなど,総じて,当局が,民間防空として初期消火に積極的に当たらせるなどの目的から,焼夷弾の脅威を過少に宣伝していたことがうかがわれ,これを信じて早期に避難せず初期消火に当たった国民が,その分危険な状況に置かれたものと評価することができる。

(二審・大阪高裁 平成25年1月16日判決・29〜30ページ)





「焼夷弾は手袋でつかんで投げろ」
という防空指導課長の談話を
報じる朝日新聞 昭和19.12.1付



かつての裁判例とは大違い ――― 防空法は国民を危険に追いやった
 このように、情報統制や防空法制を批判的に認定した大阪空襲訴訟判決。ある意味で当然の判断とも思えます。しかし、かつては防空法制を肯定評価する裁判例があったのです。

【昭和58年7月7日 名古屋大空襲訴訟・高裁判決】
防空法に定められた応急防火義務は、空襲という戦時危難に際し、自己又は他人の生命、身体、財産等に対する被害を最小限に食い止め、これにより、社会一般の被害の拡大を防止することを目的とするものであって・・・

(判例タイムズ502号に掲載)

 これではまるで、防空法は有益だったようです。大阪地裁・高裁は、これとは正反対の判断をしました。防空法は「被害の防止」ではなく、「逃げられない」という危険な状態を作り出したと認定したのです。



退去の禁止 ――― その法的根拠は
 防空法が定める「退去禁止と消火義務」。これを具体化したのは通達(通牒)です。防空法と勅令の条文は、内務大臣が「退去を制限できる」と定めるだけでしたが、これに基づく内務大臣通達が、次のように
退去禁止の方針を明確に定めていたのです。

【判決文】
昭和16年12月7日
に発せられた内務大臣通牒「空襲時における退去および事前避難に関する件」では,以下のとおり,一般的には退去をさせないよう指導すべき方針とされていた。
「 一,退去
(一) 退去は、一般にこれを行わせないこと
   (二) 老幼病者等の退去についても、現下の空襲判断上、全般的計画的退去を行わせないことは勿論,以下のとおり努めてこれを抑制するよう一般を指導すること
(イ) 老幼病者に対して絶対に退去を勧奨しないこと
(ロ) 現在予想される敵の空襲は、老幼病者等の全部が都市を退去することを要しない程度であり、むしろ退去に伴う混乱,人心の不安等による影響が大きいことを一般に徹底させること
   (三) 第二号によっても、なお退去しようとする者がいる場合は、適宜統制を加え、混乱を未然に防止するよう努めること(以下略)」 

(一審・大阪地裁 平成23年12月7日判決・15ページ)

 この通達の日付には注目です。昭和16年12月7日。つまり真珠湾攻撃による対アメリカ開戦の前日です。当時の国民は、日清・日露戦争以来、戦争に負けた経験がありません。空襲の怖さも知りません。国民が「空襲は怖い、戦争は怖い」と思う前に、空襲からの避難は禁止され、逃げる者は非国民であるという思想が植え付けられていったのです。このことは現代へ教訓を投げかけていると思います。



空襲被害者の「多大な苦痛や労苦」を認定
  
―――「政治解決により救済するべき」というメッセージ
 一審判決は、次のように原告ら一人一人の空襲被害者の苦労について、法廷での証言や陳述書面にもとづいて認定したうえで、次のように述べました。

【判決文】
「原告らは,それぞれ内容,程度に差異はあるものの,空襲により被災した者であり,それぞれが受けた被害内容の詳細は,原告らの陳述書及び本人尋問における供述において
生々しく語られており,また,それらの被害により,原告らは,今日まで多大な苦痛や労苦等を受けてきたことも,前記の原告らの陳述書及び原告らの供述等から認められる。したがって,政策的観点において,他の戦後補償を受けた者と同様に,原告らに対する救済措置を講じるべきという意見もあり得るところではある。」 

一審・大阪地裁 平成23年12月7日判決・38ページ)

 これは、原告を敗訴させる判決に書く必要がない内容です。しかし、大阪地裁は、わざわざこの一文を盛り込みました。裁判所による憲法判断としては「違憲とまではいえない」、しかしこのまま空襲被害者を放置するべきではない、政治の場で解決を図るべきだ、というメッセージが感じられます。



政府のいう「戦争損害受忍論」は否定された
 
――― 違憲となる「余地がない」から「あり得る」への大転換

 かつて最高裁判所は、次のように述べていました。

【昭和62年6月26日・最高裁判決】

・戦争被害について、国民は耐え忍ぶべきである
・したがって,戦後補償については国会は完全に自由裁量で判断できる
・だから,戦後補償をしないことが
憲法違反となる余地はない

(判例タイムズ658号に掲載)


 これはあまりに不当です。要するに、「戦争損害については、どれだけ不合理や不平等があっても、絶対に憲法違反にならない」というのです。そんなことは憲法に書かれていません。この最高裁判決から26年後、大阪空襲訴訟の二審判決は一転して次のように判断しました。


【平成25年1月16日・大阪高裁判決】

・戦争被害について,国民は受忍しなければならなかった
・したがって,戦争損害の補償について国会には広い裁量の幅がある
・しかし,戦後補償を「受ける者」と「受けない者」の格差が拡大した場合は,不合理な差別として
憲法14条違反と判断されることがあり得る


 憲法違反となる「余地がない」から「あり得る」へ。大阪空襲訴訟の判決は、最高裁の判断を大きく転換しました。政府の見解は否定されたのです。



なぜ敗訴したか――― 「重大で明白な差別」の一歩手前
 このように、戦時中の政策に切り込み、かつての最高裁判例を軌道修正した画期的な大阪高等裁判所判決。ここまできたら、あと一歩、「まったく補償を受けていない空襲被害者と、援護を受けている
軍人との格差は重大であり憲法違反である」と判断してほしい・・・。
 しかしこの判決は、
「重大で明白な差別とまではいえない」という理由で、原告の請求を棄却しました。そこは残念ですが、この判決には大きな意味があります。「どんなに不平等があっても憲法違反にならない」という政府の主張を全面肯定した最高裁判例とは異なり、これ以上、空襲被害者を放置して不平等が拡大したら、次は憲法違反の判断をするという警告を発したに等しいからです。

 大阪高裁判決のなかには、次のような一節があります。

【判決文】
控訴人(原告)らが主張するように,空襲被害者と 軍人軍属等の間に,ある種の類似性があることを考慮しても,・・・

(二審・大阪高裁 平成25年1月16日判決・25〜26ページ)

 都市から逃げることが許されず、身を挺して焼夷弾へ突撃することを義務付けられた市民は、戦闘の最前線に立たされる軍人と共通点がある。このような原告の主張に、大阪高裁は一定の理解を示しているのです。それでも、あと一歩、軍人と一般市民が同一に扱われるべきとまでは認められないとして、敗訴判決が下されました(原告は、軍人と全く同じ待遇まで求めていた訳ではなく、著しい不平等を改善してほしいと求めていたのですが・・・)。

 問題点を含みながらも、これまでの裁判例と比べると、戦時中の政策に正面から切り込んだといえる大阪空襲訴訟の判決。政府がこれを受け止めて空襲被害者を救済することを、願ってやみません。

※ 判決が引用している法令の一部を、現代文・仮名遣いに変更しました。



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当ページ作成
 
大阪空襲訴訟弁護団
 弁護士 大前治


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